次回は先代であるお父様への想い・日本酒のブランディングについてのお話をお伺いします。
おいしいお酒の裏には、作り手の熱い想いがある
トピックスでは、お酒のセレクトショップ未来日本酒店で取り扱っているお酒の作り手の方々へのインタビューを通して、お酒の味だけでなくその背後にあるストーリーと想いも皆さまにお届けいたします。
第一回となる今回は、米どころ新潟の阿部酒造の6代目阿部裕太様にお話しをお伺いしました。
新潟の日本酒と聞いてイメージするのは淡麗・辛口のお酒ですが、阿部酒造では旨口・甘口の日本酒もつくっていらっしゃいます。日本酒造りへの想い・日本酒の海外展開にむけて等、阿部様の日本酒への情熱を全3回に分けてお届けいたします。
淡麗辛口だけが新潟の酒じゃない。阿部酒造6代目のルーツをたどる。
―本日はよろしくお願いいたします。
新潟というと淡麗辛口のお酒のイメージが強いと思うのですが、阿部酒造は旨口・甘口をつくっていらっしゃいますよね。酒造りの方向を現在の方向にしようと考えたきっかけは何でしょうか?
よろしくお願いします。
そもそも、もともと新潟って全ての蔵が淡麗辛口なエリアというわけではないんですよ。実は旨口タイプのものを作っている蔵もあるんです。
同様にうちでも祖父の代から旨口タイプのお酒を造っていたんです。加えて、改めて言うと僕が好きなのが旨口タイプだったっていうことに行き着くんです。
そのあとで新潟の淡麗辛口ブームが来て新潟のお酒って淡麗辛口だよねってなったということだと思うんです。なので、あえて淡麗辛口じゃないものを作りたい、とかいうのは全くないんです。
加えて、僕が蔵に戻ったのは、東京の飲食店で日本酒を飲んだことがきっかけだったんですけど、その時飲んだ日本酒が米の味がしっかりある旨口タイプのお酒で。もう当時の新潟県って淡麗辛口ブームは終わっていたんですが、市場には淡麗辛口の酒しかないわけですよ。要は味が一辺倒なんです。
これがお酒なんだなって思いこんでいた中で、東京で(旨口の)日本酒を飲んで驚かされました。これだけ幅があるものだったら、僕も戻って作りたいなと思ったんです。
―東京で色々飲まれたと思うんですが、最初に衝撃を受けたお酒はありますか?
蔵に戻るきっかけになったお酒を覚えていればいいのですが、当時は日本酒にまったく興味なかったので銘柄が何なのかも、どこで飲んだかも覚えてないんです…。
なので、その後でいうと、あくまで僕の趣味嗜好ですが、すごいなっておもったのは、新政・仙禽・残草蓬莱シリーズを醸すお蔵のお酒でしょうか。
この3蔵のお酒は僕の趣味嗜好の世界の中では突き抜けていると感じました。
―あげてもらった銘柄って、日本酒をずっとやってきた本流の人からすると意外とも言えるのかもしれませんが、阿部さんからすると「単純にうまいものはうまいでしょ」って思ったということなんですね。
そう。そんなの有名じゃんって言ったらそれまでですけど、でも美味しいんだから仕方ない。
―酒造りを昨年始められてまだ2年目ですよね。
そういった歴が浅いことが、逆に強みだと感じることはありますか?
お酒ってできるんだなぁって感覚があることでしょうか。
今まで妄想の中で何となくできてるのかなっていう空想で終わっていたのが、いざ目の当たりにして自分を全部体験してお酒って本当に完成するんだなぁと知ったのが今年です。
仮に酒造りが20年目ですとかだとそんなことは言えないので(笑)。歴が浅いからこそこれが言えます。
もう1つ言えることでいうと、こういう挑戦しましたっていう振れ幅を広くできるのって歴の浅い蔵だからこそですよね。
―なるほど。
阿部さんは滝野川で酒造りの勉強をされたと思いますが、初造りの方々はみんなそういった感じなんですか?
※東京都滝野川にある酒類総合研究所では、日本酒の学校として、日本酒の知識の提供等の支援を行っている。
滝野川ってすごく面白いんです。
僕が選択したコースは一応全員初心者になっているのですが、年齢も歴も様々です。僕が実家に戻ったのと同様に、初めて造るための知識を得て0を1にするために来ている人もいます。一方で、知名度がある中堅の蔵で、杜氏が去年で引退したため、自分たちで作らなきゃいけなくなり、今までは造りの一部しかしなくてよかったのが全体を学ばなければいけなくなったことで、それを学びに来ている方もいるんです。
酒造会社に勤めている歴でいれば20年っていう人もいたりして。この前も一番下は当時22歳から上は45歳っていうくらい幅がありました。
―みなさんきっかけは様々なのですね。