トピックスでは、お酒のセレクトショップ未来日本酒店で取り扱っているお酒の作り手の方々へのインタビューを通して、お酒の味だけでなくその背後にあるストーリーと想いも皆さまにお届けいたします。
今回から石川県の数馬酒造の数馬様へのインタビューを全四回に分けてお届けいたします。
第一回の今回は、数馬様が日本酒業界に入るまでの経歴について、お伺いしました。
経営者へのあこがれ
-改めまして、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
-数馬さんは、ご実家の家業をお若くでお継ぎになられていますが、就任されたタイミングでいうと、全国の中でも最も若い社長となるのではないでしょうか。
はい、そうですね。言われていましたし、言っていましたね笑。
-そんな人間「数馬さん」を掘る、ということで、お酒の話に行く前に、まずどのような学生生活を送られて、どのタイミングで家業を継ぐことを意識したか、というお話をお聞かせいただけますか?
学生の時は本当に、遊んでましたね。経営学専攻で経営には興味があったので、その勉強をしつつ、スポーツもしつつ、サークルもしつつ。 いろんなことをやっていました。
-家業を継ぐということは大学入学当初から考えていらしたのですか?
独立して経営者になろうとは思っていたんですけど継ぐということは考えていませんでしたね。30歳くらいに経営者になって、独立してやっていこうと思っていました。
-お酒に限らず、ということでしょうか?
限らずですね。一から自力でやりたいと考えていたのでむしろそれ以外を考えてたかな。
-IT系ベンチャーなどといった方向性ですか?
いえ、分野とかは全然考えていなくて。漠然とベンチャーやりたいなと考えていました。
-なるほど。最初は就職されたのですよね。
最初は、いろんな経営者に会う機会が多いだろうと踏んで、経営コンサルティングの会社に就職しました。
-そちらには何年間ほどいらっしゃったのですか?
8ヶ月ですね。その後、関西をメインでリフォームの事業をしているグループ会社が、関東に支社を出すというので、その立ち上げメンバーとして働いていました。
-やりがいがある仕事だったのでしょうか?
それはもう、やりがいありましたね。ノウハウはあるにしても0から1作る事業でしたから。
-そのリフォーム事業というのは、デザイナー設計含めて関わるのですか?
いや、本当に営業です。壁紙からトイレからお風呂から、なんでも販売しましたし。
-サービスメニューがもともとあると。
はい、それの営業ですね。デザイナーさんはいたので、自分はもうひたすら営業活動をするっていう。知名度もあまりなかったので本当に「ぴんぽーん」って感じです。
-いわゆるどぶ板ですね。
そうですね。その前にいたコンサルティング会社も、一日100件飛び込みとか、200件テレアポとか、そういうがりがり営業職でしたし。
-そういう業務は苦にならないタイプなのですか?
僕は苦にならないタイプですね。
-それは、すばらしいですね。
むしろ何件電話して何件アポ取れたとか、同期と競ってました。
-人によってはプレッシャーになる人もいると思うのですが、楽しめるタイプだったと。
負けたくないっていうのが強い方なので。良くないのかもしれないですけど、そういう意味で燃えてました。
-なるほど、おもしろいですね。ありがとうございます。
突然の電話、いきなりの社長業
-8+8で16ヶ月ほどそちらの会社にいらっしゃったということですが、その後ご実家に戻られるきっかけはあったのでしょうか?
そうですね。突然母から電話かかってきて、お父さんに代わると。そこで電話越しに父に「そろそろ手伝わんか」っていわれて、「はいわかりました」っていって帰りました笑。
-では非常に、スムーズに。
今まで言われたことなかったんですよ。継げとか戻ってこいとか。全くなかったんですけど、その時一言だけ「戻って来い」って言われて。ああそういうことかって、なんとなく自分で納得して帰りました。
-すごい葛藤があるのかと想像していました。
なかったです。あ、なるほどそういうタイミングかと。
-東京には思い残したことはなかったと。
いや、めちゃめちゃありましたよ笑。思い残したことはありましたけど、それはそれですよ。カムバックして酒造の経営者としてやってやるぞという思いですよね。
-では、24歳くらいで戻られて、その後しばらくは社長になる前の修行をされたということでしょうか?
いえ、4ヶ月くらいですぐに社長になったんで。
-早いですね。
そうですね。それまでは取引先回りたかったので、配達してました。配達でいらっしゃる社員さんの横に座って、一緒に取引先の方を回って、荷物をお届けしてましたね。
-なるほど。お父様がされていた社長業は、かなり早めのタイミングで受け継いだということですね。
早かったですね。特に移行期間も、何かを教わったってこともなく急に
-すごいですね。
すごいですよね笑。任せる方が笑。
-蔵の体制や運営方針を含めて、ある種確立された家のやり方っていうのがあるでしょうし、一方、営業して外を見てきて経験もお持ちだったということですよね。引き継いだ時、経験を活かして積極的に変えていこうと思ったのか、あるいは家のやり方を守ろうと思ったのか、どちらでしたか?
いや、当時はそんなことを考えている暇はなかったですね。一年の流れを知るっていうか現状を把握するのに精一杯というか。例えば何月にお米の手配をしなきゃいけないかとか、全く何も知らなかったんですよ。どのタイミングで何をしてたかがわからないから、ひたすら目の前にあることをやっていくって感じでした。
-本当に何の引き継ぎもなかったのですね。一般的には、一年程度引き継ぎ期間を設けて、一通りの流れを1周、2周してもらうパターンが多いですよね。
というので、もう、迷惑かけてたな社員さんには。
-当時は、もともといらっしゃる番頭さんのような方がある程度コントロールしてくださって、やっていたということでしょうか?
そうですね。社員さんがしっかりしていらっしゃったので、めちゃくちゃ崩れたとかはなかったです。こんだけのリッター数仕込むのにどれだけのお米が必要かっていう計算方法もわからないので、めちゃくちゃお米の手配が遅れたとか、はありましたよ。少なめに手配するとか多めに手配するとかわからなくて、大変でした。なんとなくこんなもんだろっていうのでやっていたので笑。
-ポジティブに乗り越えていったと笑。
やべえみたいな感じでしたけど笑。やっちまったあみたいな感じで笑。まあ次しなきゃいっかって考えてました。
次回は、 杜氏制廃止という大きな変革についてお伺いします。